運動の主体
「ゾンビの国」で考える連帯の条件──グローバル・ジャスティス運動、固有性、マルチチュード
- 日時:6月30日(月)13:00〜15:00
- 場所:中大・駿河台記念館 570教室
ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)は私たちの住む世界を描いている。ほとんどの人間がゾンビと化した近未来社会。ゾンビから逃れた人間たちは要塞都市を築く。だが彼らは力を合わせてゾンビと闘っているわけではない。中心部のコンドミニアムでは一握りの人々が贅沢な暮らしをしており、残りの人々はそこから締め出され、周囲のスラム地帯でゾンビからの攻撃の不安におびえながら搾取と貧困にあえぐ。
現代の日本社会を考えてみよう。一方の極、つまり要塞の中心部には支配階級の面々がいる(おそらく彼らのような者はどの国にもおり、その代表が集まる会議がG8だと考えよ)。そしてもう一方の極には正規雇用の世界から排除された者たち(フリーター)がおり、なかでも貧困状態におちいった者たちはワーキングプアと呼ばれている。しかしそれだけではなく、両者の中間地帯にはサービス残業や長時間労働に苦しむ(「名ばかり」)正社員労働者たちの分厚い層がある。
映画ではゾンビと闘うのは中間地帯の人々である。だが彼らは主体的に闘っているのではなく、コンドミニアムの居住権というエサにつられて闘う傭兵にすぎない。そして傭兵は支配者たちに裏切られ続けるだろう。ここ日本でも同じような事態が生じている。正社員は不安定で低所得の非正規雇用になることを恐れるあまり、長時間労働を断ることができない傭兵となる。非正規労働者は傭兵によって軽んじられると同時に恐れられ、両者の利害はあたかも対立しているかのように考えられている。
しかし次のような疑念が起こらざるをえない。両者は本当に対立しているのだろうか。つまり一方における非正規労働者の「収奪」や「排除」、他方における正規労働者の「搾取」や「包摂」は一つのプロセスの裏と表にすぎないのではないだろうか。だとすれば両者の問題の接続をどのように考えればいいのだろうか。
この問いかけはグローバルな広がりをもつ。先進国の人々の労働搾取と第三世界の人々に対する暴力的収奪の共存、端的に市場原理と暴力の矛盾した共存といってもいいかもしれない。本セッションで私たちは、一見矛盾し対立する諸問題のカテゴリーを接続させることによって、グローバル・ジャスティス運動あるいはオルタグローバリゼーション運動と呼ばれる運動の経験を通じて——そしてもちろん私たち自身の日常生活の苦い経験への考察を通じて——固有性を尊重しながら連帯する可能性を考えたい。
- パネラー
- デイヴ・エデン(オーストラリア国立大学)
専門は政治学、現代のアウトノミア運動の可能性が主要テーマ。自身も活動家でアナキスト系パンクス。
論文:"Treasonous Minds: Capital & Universities, the Ideology of the Intellectual and the Desire for Mutiny" in Ephemera: Theory and Politics in Organization Volume 5, Number 4(November 2005) http://www.ephemeraweb.org/
"Black Sails in the Corridor; Treasonous Minds 1.5" in Constituent Imagination: Militant Investigations, Collective Theorization eds Stevphen Shukaitis David Graeber, and Erika Biddle (Oakland; AK Press,2007) - ハリー・ハルピン(エジンバラ大学)
テクノロジーと複雑システムの関係性を主眼に、メディア論、人工頭脳、認知科学を研究すると同時に、2001年以降、エジンバラ地区にIndymedia設立を推進。また世界各地のグローバル・ジャスティス・ムーブメントに参加。いくつかの論文は次の自身のホームページで読める。http://www.ibiblio.org/hhalpin/publications.html - ブランドン・ジョーダン(映像作家)
- 司会
- 渋谷望(千葉大学)